福岡市の整体鍼灸・整骨院、斎藤整骨院。交通事故むち打ち症や五十肩四十肩・頭痛・肩こり・膝・首・背中の痛み治療をしています。

交通事故のむち打ち症やオスグット・スポーツ外傷、
又は各種関節の痛み、症状に約30年の実績を持つ治療院です。

予約優先:0940-35-3715

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施術の様子
営業時間カレンダー

( 1 ) ある日の治療と治療の合間、 整骨院の駐車場を見てみると
白い軽トラが3台並んでいました。私は何故だか嬉しく、ニコニコしています。

ここで開院して 20年以上が過ぎましたが、いろいろな方と出逢いました。
その殆んどが、地元の方々です。

このあたりは、まだ農家をされている方も そこそこおられ、
私の実家も農家という事もあって そのような方達と親しみやすく、
良く可愛がって頂いております。
だから、今こうして軽トラを見ていると嬉しいんです。

そして思います、
いつまでも地元の方々に喜んで頂けるよう、これからも頑張っていかなくては、と・・・。


( 2 ) 当院は 薄い緑のカーテンで個々のベッドを囲んでいます。
そしていつも 『 北の国から 』 の音楽が流れています。

もう十数年同じ曲です
患者さんがテレビを見てた時 北の国から が流れて来たそうです。すると、
齊藤整骨院の治療室及び私の姿が浮かんできたそうです

それだけ ずーっと流れているわけです。
言われた方が2〜3人ではないのです。
良く聞かれます、
『 毎日毎日 北の国から を聞いてて 良く飽きませんね? 』と。
これが 飽きないのです。

何故なら 大ファンだったのです、それも筋金入りのです。
以前、富良野へ行き 三泊四日で富良野だけを堪能して来ました。
隅々まで、北の国から のロケ地を探索してくるほどです。

田舎の雰囲気、自然の美しさ、人間関係、家族愛、
その全てが、私の田舎にあるからなんです・・・・という訳で

この曲はもう、齊藤整骨院の イメージ曲 になったのでしょうね


( 3 )  70 代後半の女性が来られました。膝が痛く、いろんなところに行かれてたようです。

『 誰に聞いて来られましたか? 』と尋ねると、名前は分かりません との事。

詳しく尋ねると、
ある日、サニーのスーパーで座ってた時、隣におられた方と話しをする事ができ、
その方が当院の患者さんだったとか。
で、齊藤整骨院の事をいろいろと聞かされ
最後に、このように尋ねたそうです。

『 そこの先生はどんな人ですか? 』と。
すると、返ってきた返事が
『 打てば響く先生です 』だったそうです。
その時は理解出来ず、ずーっと考えておられたそうで、当院に来られたそうです。

最近も来られていますが、
『 先生、あの時 あの方が言われた言葉が わかりましたよ 』・・・らしいです。

おもしろい紹介の仕方があるんですね


( 4 ) 暑い日が毎日続きますねー
私は 11〜15日まで夏休みを取らせて頂き、
その内の 11〜12日は、神奈川の逗子で整骨院を開院している友人の治療所に行き、
治療の見学と治療に関するいろいろな勉強をさせて頂きました。

2年程前に新築され、木がふんだんに使われた居心地の良い空間でした。
時間に追い回されず、ゆっくりと、充実した 1泊2日でした。


( 5 )  4〜5 年前まで、私は電話帳に屋号も、電話番号も載せていませんでした。

必要なかったし、ウチは紹介だけで十分だったからです。

その頃 待ち時間を少なくする為と、症状が酷い方を優先に治療したい 
という考えで、予約を取り入れる事にしました。

ある時 患者さんが診察券を無くされ、予約を変更しようにも電話番号がわからず
NTT にも尋ねて下さいましたが 載せてないので当然わかりません。

私に『 せめて地元の電話帳にだけでも載せてください 』 と言われ、
地元のテレパルという電話帳に載せました。

しかし、そんなある時 福岡のお世話になっている先生から
『 宗像から患者さんが来ましたよ、
それで 宗像には自由ヶ丘に齊藤整骨院という所があるんですが、ご存知ないですか?
と聞いたら、知りません! て言われました 』
という電話が入りました。

ショックでしたねー
そして、『 まだまだだなぁ 』 って痛感しました。
そんな事があって、
1年前 ( 24年 ) ホームページを子供に協力してもらい立ち上げたわけです。


( 6 )   私は 大阪弁だと 『あかんたれ』 です。

自分でも、どうにもならないのです、治りません。
何故って言われると、育った環境にあると思うのです
経済的に苦しい家でした。でも 愛情は、しっかり注いでもらいましたが…

話は戻りますが、当院には多分 他院と比べて
症状の重い患者さんが多く来られてると思います。
治療のメインを手技でやっています。
が、症状によっては 円皮鍼や鍼治療をした方が早く楽になる場合もあるんです。

ただ 実費が発生するわけです…ね。
だから患者さんには、鍼をした方がいいと分かっていても言い出せないんです

勝手に私の ふところ が痛んでしまうんです。
本当は痛みを早く取りのぞけるんであれば 悩まないで言えば済むことなのに、
いい出し切りません。

皆さん、この事を理解して頂き、痛みがきつく鍼を考えてらっしゃる方は
声をかけてくださいね。

私は よっぽどの方でないと、鍼はすすめませんので・・・。
 
『商売してる 』、と思われたくないんです
と、いう事で、 あかんたれ  なのです。


( 7 )  私の身近な人の旦那さんが、数年の闘病の末 亡くなられました。

おはよう …
お帰り …
ただいま …

何気ない普通の毎日の会話ですが、
それも、もう出来なくなるんですね。

あらためて 毎日の平凡で、
普通に出来ている営みが、これ程に大事な事だったが
身に染みる日でした。

思うのですが、今を生きるものとして
供養とは、旅立たれた方を偲んだり 手を合わせたり、
いろんな供養があるとは思うのですが、

残されたものが、一生懸命生きる 事が
一番大事な供養だと思うのです。

今、それを強く感じています。


( 8 )   私は月に一度、仲間との勉強会に参加しています。
この20年近くいろんなセミナーに出向き そういった中で意気投合した仲間です

遠くは神奈川、大阪、大分、熊本、長崎、山口…
総勢 12〜13名、このメンバーが凄いんです。

土曜日の午後7時、メンバーは仕事を午前中で終え
各県外から福岡の、ある整骨院に集まり
研究発表をしたり、
手技を出しあったり、
症例報告をしたりとかして 一旦、10時に終えます

食事、懇親会を 12時に終わらせ
12時〜早朝 3時頃まで又々、勉強

朝の 6 時に起きて、各方面に散って行くのであります。

そのような勉強会は、毎月 一回、十数年続いています。
私にとって、苦楽を共にしてきた、大切な仲間です。
ただ、最近 少々体力の限界を感じてまして… 


( 9 )  今日は長年使っていた、家と治療所を往復する為の
手さげバックがいよいよ壊れてきたので、 
大型ショッピングモールに入っている専門店に買いに行きました。  

今のバックを持って行き、なるべく同じような品物を買うつもりでした。

しかし、さげるところの紐が殆ど切れていて
細い糸2〜3 本でかろうじて繋がってる状態なので、
タコ糸でしっかり応急措置をしています。

もう使って10年近くなるかと思います。
私は何でも長く使う方で、
靴や洋服、ウエストポーチでも、余りにも長く使うものですから
外見はよれよれのおっちゃんにしか見えないようです。
( 小綺麗にしてるつもりなんですよ )

車なんかは、もう20年乗っていますし、
財布に関しては  もう30 年は使っています。

話しはそれましたが、
よれよれのバックと汚れの染み込んだウエストポーチをしての容姿で
専門店に入ったものですから 店員さんに、どうも簡単にあしらわれたようです。

一緒に行った妻も同じように感じたようです。
実際、以前私が買った時の値段は 3000〜5000円位でした。
ましてや そのバックをタコ糸で何重にも巻いて使っているんすから、
まさか買うなんて思わなかったんでしょうね

店に置いてあったバックは 3万前後していましたから。
でも、気に入った物であれば、買うつもりで行ったんですよ

私は、人は見かけで判断しないように心がけています。

肩書き、出世、名声… などは私にとっては全く無縁の物です。

しかし、まだどこかで私の中に そういったものがあるんでしょうね
でないと、そういった待遇は受けないでしょうから

結局、店の中を歩いていると、修理店がありましたから、また直して使おうと思っています。


( 10 )  忘れられない 80前の Yさんのお話しです。

宗像に来られる前の1年ほど前は
熊本のある町に住んでおられましたが、娘さんの嫁ぎ先である
宗像に引っ越されて来ました。

この方は、農家に生まれ お母さんが病弱な為に、
小さい時から下の妹、弟たちの面倒を良くみて ましてや、
家計を助ける為、高校を中退し羊を飼い乳絞りをして
それを売り、収入源にしていました。その頃には本格的に農業にも取り組み、
イチから教えてもらい汗と泥まみれになり一生懸命働いたそうです。

Yさんは言いました、
『 働く事は全然辛くなかったー、仕事を追求するのが楽しかったし
野菜ひとつ作るにしても難しいとですよ、自然との闘いとですけん 』

素直で頑張り屋で、誰とでも気軽に話が出来、
待合室では直ぐに友達になるほどフレンドリーな方でした。

ただ、苦労されていましたね。びっくりするほど苦労されていました。

Yさんは当院に4〜5ヶ月通われましたが、たくさんお話しを聞かせて頂きました。
私も治療した、というよりも いつも大切な貴重なお話しを聞かせて頂いた、
という思いです。ここで全て書く事は出来ませんが、
特に心に残っていて、私が涙を流してしまった話しを書かせて頂きます。

20才ちょっとで、ある美男子のもとへ嫁いだそうです。
商売をされていて、しばらくは良かったのですが、
旦那さんが病弱で体力がなく 力仕事は Yさんがされていたそうです。

子供にも恵まれたのですが、朝早くから家の事、商売の仕事の為、
子供とも接する時間もなく、夜遅くまで働き詰めでした。

ある日、久しぶりに実家に里帰りし、ゆっくりさせてもらい 
ご馳走になり 全部食べるのが勿体ないと思われたのでしょう。
嫁ぎ先にも食べさせてやりたいという気持ちで、重箱に詰め込んで
お土産に持って帰ったそうです。

すると、姑さんが ほどこしを受けたと思われ
重箱を受け取るや、風呂敷を外し、中身も見ないでふたを開けたと同時に
中身をごみ箱に捨てたというのです。

Yさんは、何が起こったのかわからず、一瞬真っ白になったそうです。
直ぐに我に戻り、何とも言えない感情と、情けなさと悔しさが出て来ましたが
昔ですから文句が言えませんでした。

Yさんは言います、『 人を初めて憎らしいと思いました 』 と。

その事を実家の父親に泣きながら告げたのですが、
その時 このように さとされたそうです。

『 お前が間違っているよ。お前は持って行った事を誉めてもらいたかったのか、
違うだろう? 
だったら、相手がどのようにしようが 文句を言ってはダメじゃないか 』と。

さすがに私も、ん〜 なるほどなぁと、感服させられました。
なかなかその場で、考えられない発想です。

Yさんもそれで納得させられ、それ以来 そのように考えるようになったという事です。
人は良いようにも悪いようにも考えられます。
だったら、なるべく後に繋がる良いように考えたいものです。

実はこの Yさんが、私の事を
『 打てば響く先生たい 』と紹介してくれた方です。

今はもう通院されていませんが、近くを通ったからと言っては、
たこ焼きを買って来てくれたり、みんなの顔が見たくなったと言っては、
立ち寄ってくれています。私はこのような方と出会えて本当に嬉しい。

ありがとうございます。


( 1 1 )  私も1年ほど前からネットというものを意識し始めました。

今だにパソコンを使ってる とは、とても言えませんが
子供の力を借りて 何とかこうして発信してるわけです。

たまに、他のホームページを見ることもあり、
参考になったり ビックリさせられる事も多々あります。

誇大に表現したり、こんな事は出来ないだろう、な事でも 
いとも簡単に治せるように書かれてたりしてます。
それにより、一時的に患者さんを呼んでも実力は嘘をつけません。
宣伝して患者さんに来てもらうだけ、評判を下げるだけなのです。

私のネットの目的は
宗像市から遠い町まで行く前に、一度
『 齊藤整骨院に来てみませんか 』
これが原点です。

反対に県外などから来てもらう事などは 全く考えていません。
せめて、遠くとも通院出来る範囲 (片道1時間位) です。

時々、紹介などで 県外などから来ようとされる方もおられますが、
丁寧にお断りする事にしています。
ただ、それなりの方には誠意を込めてアドバイス出来る事はさせて頂いてるつもりです。

このように、ネットに出すという事は
いろいろな症状で苦しんでおられる方の目にふれるわけですから
よほどの覚悟を持って対処していかなければと強く思っています


( 1 2 )  私の治療所には 小学生、中高生、20代〜30代 中高年まで
幅広い方々が来られます。

数年前から、ある事に気付かされました。
私がこの仕事をしてるのは、いろんな方々との出会いをさせて頂き、
勉強させて頂くためなんだと。

患者と施術者 以上に、自分の未熟なところを成長させる為 
この仕事が必要だったんだ、と感じたのです。
たくさんの学びと気付きが多いのです。
小さな子供から、老若男女まで その全てにです。

幾度となく、治療を終え、帰られる患者さんを想い、
心で手を合わせる事があります


( 1 3 )  今朝早く、治療家としてとても嬉しい言葉をかけて頂きました。

治療中突然でした。
『 先生、私は本当に先生と出会えて良かったと、心から思っています。
紹介してくれた、福島さんには凄く感謝しているんです 』 と。

このように、患者さんが直接言ってくださるのは
月に、1〜2度あるかないかです。
しかし 治療家として、天にも昇るくらい 嬉しいものです。

この方は、福間から来られている、60代の元看護師の女性です。
5〜6年前から少しづつ腰が前に曲がり、いろいろ治療をしてこられましたが
紹介で当院に来られました。

車の運転が出来ない為、ご主人に送ってもらったり 友人に送ってもらいながら、
2〜3年前から週に1回位のペースで通院され、ほとんど真っ直ぐなられました。

この方にお言葉を頂いた日は、
朝からとても気分の良い一日を過ごさせて頂きました。


( 1 4 )  開院当初から 7〜8 年前まで、当院の待合室のイスは パイプイスでした。

まだ予約制を取り入れてない頃、待合室はたくさんの患者さんが待たれていました。

平均1〜2時間位は待って頂いておりました。
今でも覚えていますが、いち番長く待った方は 3時間15分です。

ある日 待って頂いたその中に、重症の患者さんもおられ、
私が治療室を行き来していると、辛そうな顔をして
私を見つめられていたのです。

その時の光景が忘れられず、暫らく数日間考えさせられていました。

そして、次のような思いに至りました。
『 自分は今まで 何で気が付かなかったんだろう、
この方たちのお陰で 生活が出来ているのに、
座り心地の悪いパイプイスに座らさせているなんて、
イスがどれだけ高いというんだ… 』

思いたったら もう直ぐに行動に出ました。

ナフコから地場の家具屋さん、新宮市
またその他の町の家具屋さんを巡り、
『 すみません、ここにある 全てのイスに座らせてください 』とお願いし、
かたっぱし から座り続けました。

値段の高い安いは そっちのけで、
座り心地がよければそれで良かったのです。
どれだけのイスに座ったでしょうか、50 前後は座ったと思います。

待合室のイスを替えた次の日、早速患者さんから
『 座り易いイスに替わりましたね、
私の自宅のダイニングのイスよりいいです。
持って帰りたいです 』 とおっしゃられたので、
『 3万〇〇千円 おいて帰ってくださいね 』と言いました。

そうなんです、私もそうですが 自宅のイスよりも高かったのです


( 1 5 )    伸ちゃん、5年間ありがとう

平成26年 2月末 5年間手伝ってくれた 受付スタッフが退職しました。
その4ヶ月前 私に相談があるといい
ある、日曜日の午後 治療所にて会う事になりました。

口を開くなり、大泣きの状態でした。
今まで治療所では いつも笑顔を絶やさず、曇った顔一つ見せた事がないような、
とても明るい、気配りの出来る女性でした。

事情を聞くと、ご主人の転勤でやむなく違う町へいくとか。
私も妻も、彼女もそうでしたが 
ある程度歳を重ねるまで一緒に仕事が出来ると思っていました。

彼女は とても素晴らしい
宗像一(いち)の 受付スタッフでした。

僅か 5年という短い月日でしたが、振り返ると
ずいぶん長い年月 一緒に仕事をしてきたような気がします。

退職 最後の日、彼女が仕事を終える30分前 握手をし、
『 5年間 手伝ってくれて、ありがとう。
あなたと一緒に仕事が出来て 凄く楽しかったし、
いろいろ勉強させられました。
あなたは 宗像一の受付スタッフだったよ。ありがとう・・・・』 と言葉をかけました。

お互い、まだ仕事中でしたが 目に一杯涙を貯めての挨拶でした。

ありがとう 伸ちゃん、
君の事は一生忘れない、
私も妻も あなたの事はいつも誉めていたし 大好きでした。
またいつか、一緒に仕事が出来たらと 心から思っています。

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齊藤鍼灸整骨院 福岡県宗像市自由が丘西町7-76 TEL:0940-35-3715 メール:munakata-jin■wit.ocn.ne.jp